「佳肴 みを木」渡邉 愛さん

日本酒の路を往く人を導く愛が此処にある…「佳肴 みを木」の女将『渡邉 愛さん』にお話を伺いました。

■芸大から広告業界を経て飲食業に入られたというなかなか珍しい経歴ですね
芸大から広告業界に行く人は少なくはないのですが、そこから日本酒に行く人はあまりいないかもしれないですね(笑)。とにかく日本酒が好きであちこち呑みに行っているうちに、地方の蔵元さんと知り合い、日本酒の今の現状を教えて頂きました。そんな中、親しくさせて頂いた蔵元さんが看板を降ろしてしまい、その時に
「あぁ、間に合わなかった…いい作り手さんがどんどん失われていってしまう」と強く感じ、日本酒業界の現状を伝えなくちゃって思ったんです。日本酒造りっていう伝統工芸を絶やしちゃいけないと思いました。モノ作りに魅せられた人の心、想いを伝えるということは、結局、芸大にいるときと意識はあまり変わらないんです。芸大では油絵を描いていましたけれど、自分が創る側から立場が少し変わっただけで、自分の中ではあまり変わりはないんですよ。

■日本酒、特に純米酒のお燗向けだけに特化したきっかけは?
やはり「新八」に入って、私のお酒の師匠である神亀さん(埼玉の蔵元 神亀酒造)と出会ったことがきっかけです。日本は戦争中に、いわゆる合成酒が蔓延していたのですが、日本酒は本来純米で造るものだと、蔵で造る酒を全量純米にいち早く戻したのが神亀さんです。そんな神亀さん曰く「日本酒の燗に勝る美味しい呑み方はない」と。ただ、神亀さんと出会う前に自分の中でも、純米が美味しいんじゃないかという想いがあったんですね。日本酒を呑み始めた頃はいろんなタイプの日本酒を呑んでいましたし、日本酒を絞ったままでろ過もせず、水も加えず、火入れもしていない生原酒(なまげんしゅ)など、濃いお酒ばかりを呑んだ時期もありました。いろんな日本酒を知って、だんだんお燗向けの熟成させてお水を加えたものが一番いいんじゃないかという理論が自分の中で出来上がっていったところで、新八に入って「あ!裏づけが取れた」という感覚でした。自分の嗜好性と、お酒に対する考え方が神亀さんと出会ったことで、より強く形成されたんだと思います。

■独立はいつ頃から考えていたのですか?
32歳のときに日本酒の仕事をしようと決心したのですが、その時からある程度、独立っていうことを視野にいれてました。40歳を越すと何かを立ち上げるのは体力的に難しいと考えていたので、最長でも5年で形にしたいと思い、何をすべきか紙に書き出してみました。酒屋さんをやるか蔵元に入るか、日本酒プロデューサーになるか、出版業界で日本酒を応援するか、いろいろ考えて一番日本酒業界に貢献できると思ったのが飲食店だと。その後1年ほど「坐唯杏(ざいあん)」で働いた後、「新八」の社長(現会長)にうちに来て欲しいとお誘いを受けたんですが、最初はお断りしました。その時点では、まだ独立は早いと思ってましたが、とは言え、「新八」はもう出来上がっているお店ですので、私の入る余地はないなと思いました。ですが、「新丸ビル店」を一から立ち上げて欲しいといわれて。それなら、いつか独立して日本酒文化を広く伝えたいという私の想いに繋がるなと思ってお受けすることにしました。それでも、最初から3年くらいで独立しますとお伝えしてました。ジャンケンで負けたらずっといてあげますみたいな…負けたんですけど(笑)。結局、4年ほどお世話になりました。

■銀座にお店を出された理由はあったのですか?
本当は「新丸ビル店」の近く、八重洲に出したかったんです。意外と下町っぽい気軽なお店がなかったですし、東京駅が近いので全国の蔵元さんにも来ていただきやすいし、お客さんにも「新丸ビル店」と両方楽しめるような感じにしたかったんです。ですが、八重洲は長くやっているお店が多く、なかなか物件がないのと、空いてもすごく家賃が高かったんですね。困ったなぁと思っていたところ、不動産屋さんが「今は、銀座がすごく空いているので、オーナーさんが話を聞いてくれますよ」と薦めてくれたんです。とは言え、ザ・銀座的な7丁目8丁目は、ちょっと違うかなと思っていたところ、ちょうどココがあって。少し広く家賃も予定よりも高かったのですが、立地に勝るものはないと。ここなら有楽町にも近いし、東京駅からも近いし、最初に思い描いていたのと近かったので決めました。

■飲食業でファンドというのはとても珍しいと思うのですが、設立のきっかけは?
新丸ビルの別フロアーに入っていたファンド会社と神亀さんが「純米酒ファンド」を設立していたこともあり、お店でイベントを開催したり、もともと交流はありました。でも、その頃は「いやいやファンドなんて…」と思ってました。いざ独立しようと思った時に資金繰りに難航して、その時にファンドのことを思い出したのがきっかけです。実際にファンド設立してみて、資金面でももちろん支えて頂いているのですが、一番が大きかったなと思ったのが、日本酒は興味があるけどそんなに呑まないという方や、女性のおひとり様など、今まであまりこういうお店に来たことがなかったという方が、ファンドをきっかけに日本酒を呑みに来てくださるようになったことです。「応援するから頑張ってね」と…本当にいい方たちに支えられてると感じています。

■今後はどんなお店にしていきたいですか?
月並みですが、居心地の良さを大事にしていきたいです。あとはやっぱり、日本酒をたくさんの方に広めたい。特に純米のお燗酒。お燗酒って、おうちでも楽しめますけれど、お燗を丁寧につけてあげるプロのお燗番がいるお店っていうのも、うちのポイントなので。今は少なくなりましたけど、昔はどこの居酒屋にもお燗番がいたんですよ。日本酒文化を支えるために飲食店を選んだわけなんですが、やっていると居酒屋の良さっていうのも感じるようになって。居酒屋って自然と目上の方と若い人の文化交流だったり、人と人との触れ合いがある。日本酒文化と共に、そういう居酒屋文化も支えていけるような存在でもありたいです。オープンから1年で、まだまだ毎日必死でという感じですが、変わらずに此処にあり続けること。日々出来ることをこつこつと謙虚に誠実にやっていきたいです。

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みを木という店名は、水路に船が行くときの目印である木の標識の「澪標(みおつくし)」から来ています。「澪標」はちょっと有名すぎるので、同じ意味の言葉の「澪木(みおぎ)」から名づけました。それと、実は私の名前が澪(みお)ちゃんになるはずだったんです。私の産まれた時は、まだ「澪」という漢字が名前に使えなかったので、今の愛ちゃんになったのですけど(笑) そういう意味でも縁があったのかもしれないですね。

店名の由来を聞きながら、お燗場に立つ女将の写真を撮らせて頂いている時、お燗のつけ方の話になった。同じお酒で同じ温度にしても、お燗をつける人によって味が違うという。それってやっぱり愛なんですかね…?と、私が聞くと「前に新八の社長に『オレの方が愛があるからだ』と言われて「なに~!?」と思ったことがあるんですよ。私だって愛があるのにって(笑)。」そう言いながら、さりげなく手で温度を測り、日本酒を見つめて優しく笑う女将。日本酒の一番いいところを引き出してあげることが出来るのは、その日本酒をよく知り、愛すればこそ。好みだけでなく、その日の体調などを察し、呑み手にとって一番いい日本酒を提供出来るのも、人を知り、気遣い、愛すればこそ。此処「みを木」には、そんな「愛」が在る。

【プロフィール】渡邉 愛さん

1972年、神奈川県生まれ。東京芸術大学卒。広告制作会社でのCM制作などを経た後に、日本酒に関わりたいと飲食業に転身。池袋「楽旬堂・坐唯杏」、「神田新八」本店を経て、「神田新八」新丸ビル店の女将として勤務。
満を持して、2010年12月銀座に「佳肴 みを木」をオープン。純米酒の燗酒を中心に、居酒屋という場から食と日本酒文化の奥深い魅力を伝えるべく、さらなる研究を重ねる毎日。

■関連リンク:『佳肴 みを木(かこう みをぎ)』

(文と写真:黒田みいこ)