株式会社マークフィールド 代表取締役 市原 克俊 氏

『人口100万人以上の都市を中心にスコッチバンクの復活を』株式会社マークフィールド 代表取締役 市原 克俊 氏に今までの経緯とこれからの展望をお伺いしました。

—飲食業を始められたきっかけは?—

父の経営する『スコッチバンク』というお店を手伝ったのがきっかけです。『スコッチバンク』とは今から40年近く前、アイビールックというメンズファッションが一斉風靡した時代にバンジャケットというアパレルの会社がサントリーの佐治会長の「ウイスキーが美味しく飲めるお店を作ってほしい』という意見からできたお店です。当時その会社はアパレル会社なので飲食部門の知識がなかった為、経験のあった父がバンジャケットにスカウトされ外食部門の事業部長を勤め『スコッチバンク』の立ち上げをやっていました。それから『スコッチバンク』は全国展開をして、当時は最大13、4店舗ほどあったそうです。しかし時代の流れもあり最後は仙台だけ残っていました。店舗はボランタリーですので各店舗にはオーナーがいるのですが、仙台のオーナーが体調などの理由もあり私の父に「やりませんか」という提案を受け、定年をきっかけに『スコッチバンク』を買い取り経営をしていました。それを見ていたので将来漠然と商売をしてみたいなという気持ちはあったのですが、当時はそんな深刻に考える事もなく、大学を卒業してゼネコンに入社。当時は安易に安定しているだろうという考えと、大学の校舎を作ったのがそこ会社だったので(笑)入社しました。総務部・事務課に配属されましたが、本当は営業職がしたかったので希望を出したのですが、その会社は35歳まで営業は出来ないといわれました。「なんで出来ないんですか?」と聞いたところ一件の案件が1億を下らない営業を23、4歳の若いのに任せられないと言われました。そりゃ当然ですよね(笑)。

しかし、どうしても営業ができる仕事をしたく、転職を考え3年後に不動産会社に入社しました。勉強をして宅建も取得し、半年で全国ベスト30に入るまでになりましたが、休みも2ヶ月に一度取れるかどうかという職場環境に徐々に疑問を抱くようになりました。その時、丁度業績が落ち始めた店を見てくれないかと父から連絡がありました。将来は漠然とこの会社を継いでなんて甘い事考えていましたし、この仕事を経験しておいた方が 自分の将来に役立つだろうと考え、28歳の時に『スコッチバンク』を手伝いました。

—はじめての飲食店での経験—

業績が落ちていた問題は簡単でした。『店長のピンハネ』が原因です。すぐに解雇し通常通りに戻ると業績は2~3ヶ月で徐々に回復しできますがその後も売り上げを向上させる為、矢継ぎ早に色々と販促を打ちました。

そんなある時ビールフェアーを行った初日にオープンして2時間でビールがなくなってしまうというミスを犯しました。スタッフに『なんでビールがなくなるんだよ!』と聞くと、『フェアーも何も聞かされていないので用意できる訳がないじゃないですか!!』と逆に怒られてしまいました。本当に悔しい思いで一杯でしたがスタッフの言っていることは当然で正直その時、ぐうの音も出ませんでした(笑)。そういえば今までのやってきた自分の仕事は一匹狼的な仕事で、自分の責任の下、自分の影響範囲内で解決する仕事が多かったんですね。でも店舗運営はスタッフがいるじゃないですか。キッチンスタッフがいてホールスタッフがいてアルバイトがいて・・・

確かにその頃は自分だけで企画を考え販促を打ち、他のスタッフと全然情報を共有していなかったんです。全部自分だけでやっていたんですね。恥ずかしい話ですが気持ちや情報は共有しないといけない事をその時始めて知り、翌日皆に謝りました。

それからは情報を共有したり、自分から率先して掃除をしたり、一緒に飲みに行ったりする事で人間関係もうまく行きだし、飲食店ではじめて組織としての仕事をすると言うか、組織を束ねるという疑似体験をすることが出来ました。それでこれは面白い!!と一時は満足するのですが、しかしこのままずっと続けて、本当に不景気がきたり、何かあった時にお店を立て直すことが出来るのかと考えるようになってきました。まだまだ飲食の経験も少ないですし、もう少し勉強がしたいと思ったのと、『スコッチバンク』で働くものの給与は父から貰い、企画や販促を行うにも父から予算を貰って行うという事は自立ではなく、自分が自由になる為には、自分の裁量で、自分の力でやる為には、自分でお金を握ってやらないといけないと思い、一旦ここを離れて外の釜の飯を食って勉強しようと転職活動を始めたんです。

就職活動を始めるものの、当時はすごく失業率も高く、10社以上も待っても一つも採用は無く、経歴がゼネコン、不動産、飲食店と関連のない職歴が駄目だったのか全く採用されませんでした。日々の生活もあり徐々に焦りだして、最後は自分の希望とちがう分野の企業にまで辺りかまわず面接に行っていましたが結局20社以上回っても殆ど門前払いでした。

そんな時あるコンサルティング会社の募集広告で第二の創業『経営者、募集!!』というのを見つけました。そこには『企業家の大きさは志の大きさで決まる』とか心躍ることが一杯書いてありまして(笑)ここしかないと思いすぐに応募しました。一次、二次、三次、四次とずいぶん長い試験でしたが何とか合格し、最後の面談まで到達しました。そして最後に役員面接で、通常30分の面談を1時間半以上面接してもらい、話も盛り上がったので、当然脈があると思っていたら最後に『まぁ、ご縁があれば連絡します』みたいに最後はそっけなく言うので、「えぇ駄目なのかな!?」なんて思っていました。一週間後、次はどこに面接に行こうかと山手線で何回もぐるぐると回っている時に電話が鳴り採用の連絡を貰いました。

—飲食コンサルティングを経て独立—

入社したコンサルティング会社で支援していたFC本部は外食、物販をあわせ10ブランド程ありましたが、私は将来を見据えてアルコール比率の高い居酒屋ブランドを選びました。こういった業態で学ぶことができれば、自身も独立をする際に役立つと思ったのです。
SVは一般的に5店舗程度担当するのが普通でしたが、このコンサルティング会社ではその3倍、15店舗を見る力をつけなさいといわれており、非常に驚いたのですが、5~6店舗見る力をつけるのが前提なら、ある意味殻を破る事は難しかったのだと思います。
入社したてでスーパーバイジングの経験の全く無い私は1ヶ月現場に研修に行き、その後はいきなり加盟店さんに優秀なSVだと紹介される訳です。たいした経験も無くいきなり強烈なプレッシャーを感じながら、社長、店長、本部と対応しなければならないのですが,そこはさすがコンサルティング会社です。そこにはノウハウというのが沢山あるんですね。毎日現場に入っている人たちにスピードで勝とうと思っても勝てないですが、正しいやり方を知り、正しい指導の方法を知っていれば十分可能だを言うことを教えられました。またそのプレッシャーの中でこそ、多様力が鍛えられ、クオリティーの維持、チェックなど様々な経験を得ることができました。また担当するのは殆どが赤字の不採算店舗でしたので、その店舗の黒字化など成功体験を積むことにより徐々に飲食業での経験を自分の物にすることができたのだと思います。コンサルティング会社に入社したのが28歳、当時ざっくりと32歳までに独立したいと考えていましたので、その時に自身でSVの経験もある「とり鉄」「高田屋」のFC店舗を買い取り会社を立ち上げました。
それから不採算店舗などの買取などを続け出店をし、父親の経営していた『スコッチバンク』も事業譲渡という形で買取り、現在は弊社で運営しています。

—今後の方向性はどのようにお考えですか?—

イケイケで出店したり、撤退した時期もありましたが、今後は直営、FCの位置付けをしっかりと考え『スコッチバンク』を軸に出店していきたいと考えています。業態の寿命が短くなっている飲食業界の中でなぜ『スコッチバンク』は40年も残っているのか?という事が常に頭の中にあります。そこにはエンターテイメント、洋楽、外国人による生バンドなどお客様を楽しませる様々な普遍的な要素が織り込まれているからだと考えています。現在の飲食業界はアルコール比率が低く、単価が下がっています。非アルコール業態や海外に視野を向けている企業も多いかと思いますが私はそこで『逆張り』をして行きたいと考えています。
そこで会社設立の目的でもあった『スコッチバンク』東京の復活を行います。
しかしスコッチバンクを出店するには資本もいりますし、失敗は出来ませんのでFCで自分の良く知っている業態で脇を固めてからまずは来年あたり銀座に『スコッチバンク』を出店できればと考えています。外食はある意味規模感の追求が必要になってくると思います。今後は働いている人たちの為にも人口100万人以上の都市を中心に『スコッチバンク』の出店を行いそれを拠点に直営5ブランドを各5店舗自社ブランドをまわりに展開する事を目標にしていきます。

【プロフィール】市原 克俊氏

1971年生まれ 大阪府堺市生まれ、幼少の頃に東京に移住。大学を卒業後、大手ゼネコン・不動産会社に勤務後、父の事業である『スコッチバンク』に入店、その後コンサルティング会社に入社し高田屋などのSVを経験。 とり鉄、高田屋のFC店舗を買い取り株式会社マークフィールドを設立。現在東京にFC4店舗に加え直営の『炭金』『黒瓢箪』、仙台に『スコッチバンク』を展開する。
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